ブログコラムと言いながら一応、ブログとはいえ何かがあって消えることもあるかもしれないのでバックアップとか取りたいですよね。
取る方法あるのかなっと思いつつブログコラム第14回です(ぇ
とりあえず、蒼の十字架は作品化するんで定期的にコピペしてますけど、大した量じゃないんで。
後はブログコラムぐらいは残したいなって思ってはいますがまぁ、その話はどうでもよくて。
今回のテーマは人の死についてです。
現実と作品、キャラのことを私なりの気持ちをいつか書きたいと思っていました。
すぐにどうなる……かどうかも良く分かりませんが祖母がまぁ、ほんとどうなるんだろうって状態になりましてもし万が一がありましたら親族関係で3年連続の不幸を迎えることになります。
そういう意味もあって前々から死というものに対して自分なりの考えというかそういうのは作品でキャラに反映させるうえで思っていることがありました。
いい機会かなと思い、今回少し(で済んだ試しはない)ですが書かせて頂きます。
興味がある方は例によって続きからご覧ください。
取る方法あるのかなっと思いつつブログコラム第14回です(ぇ
とりあえず、蒼の十字架は作品化するんで定期的にコピペしてますけど、大した量じゃないんで。
後はブログコラムぐらいは残したいなって思ってはいますがまぁ、その話はどうでもよくて。
今回のテーマは人の死についてです。
現実と作品、キャラのことを私なりの気持ちをいつか書きたいと思っていました。
すぐにどうなる……かどうかも良く分かりませんが祖母がまぁ、ほんとどうなるんだろうって状態になりましてもし万が一がありましたら親族関係で3年連続の不幸を迎えることになります。
そういう意味もあって前々から死というものに対して自分なりの考えというかそういうのは作品でキャラに反映させるうえで思っていることがありました。
いい機会かなと思い、今回少し(で済んだ試しはない)ですが書かせて頂きます。
興味がある方は例によって続きからご覧ください。
親族や身近な人でも知っている芸能人、殺されたとか悪質な運転による事故などによる理不尽な死だったり、病気とか……
現実、毎日……何人(程度が分からんのでこういう書き方をしますが)もどこかで人は亡くなっているわけです。
元々、死に対する考えとか結構深く考えちゃうタイプでそれは2つキッカケがあるんです。
1つは物書きを始めて、サイトを作り今のSSの世界観を作り上げた際。
キャラがどうしてもっていうとあれですが亡くなるわけです。
そこで1つ、フィクションといえど死に対するものを考えるようになりました。
もう1つは昨年、同い年のいとこが亡くなったことです。
自分の中では冷静にというか受け止めているつもりです。
事情は話せませんし、私自身、本当にそいつが苦しんでいた時期に連絡をとっていなかったので……
でも苦しんでいただと思うと楽になったなって思って……あげたいんですね。
もっと一緒に遊びたかった、笑っていたかった。
いとこですから、同性ですし。
誕生日も近く、同い年。
もう兄弟のような感じですね。
母方の祖父や父方の祖母が亡くなったときはショックでしたがそいつが亡くなったときだけショックを受けなかった……いや、多分通り越していたと思います。
でもただザックリ言うと病気を抱えてて自分の思い通りに生きれなくなった、それも別に最近、急になったわけではないのですが。
そんな身体になっても学校も普通に卒業して就職もして、そいつなりにそいつらしく自分たちの前では笑ってました。
だけどやっぱり病気を抱えて動けなくなって……自分がこうしたいのに出来ないっていうのは私自身も全然違いますが同様のことがありますので少しは気持ちを分かってやれるつもりです。
というかこういう気持ちを分かってやれないと4月からの仕事は出来ないわけですが。
だから危険な状態になったと病院に駆け付けた時、『もういいよ、楽になれ』と思いました。
『まだ死ぬな』って思わなかったわけではありません。
助かるなら助かってほしかった。
でも、医者から『もし助かったとして延命処置を取りますか?』とその親御さん(伯父さん、伯母さん)に聞いたそうです。
医者と話が終わって自分や自分の両親に『やらなくていいよね』って言った伯母の言葉に自分は何も言いませんでした。
もし、望んだら自分は『やらなくていい』ってきっと言ったでしょう。
それは私はそいつに『辛くて生きる』ことよりも『もう楽になってほしい』っていう想いの方が強かったからです。
医療がどれだけ発達しているのかその道にいるわけじゃないので分かりませんが昔よりは助かる命は増えてるはずです。
しかし、延命処置ってなんだろうってそれだけは疑問には思います。
心臓は動いている。
でも目も開けず、喋れず……それって『生きている』と言えるのでしょうか?
苦しんで生きようとしている彼に向って思ってよかったこととは思いません。
ですが医者が看護士が処置室を出たり入ったりするたび、私は『もういいよ』って何度も何度も思いました。
少し落ち着いて呼吸器をつけた状態のそいつに面会……というのでしょうかね。
顔を見ることが出来る時間が出来たので見せてもらいました。
苦しそうに呼吸をしてました。
全身で必死に酸素を体内に取り込もうとして激しく動いてました。
その光景を見たらもう……ね、『お前は頑張ったよ。そこまでしなくていい』って……
それから明け方、亡くなったわけですが……
その時からですかね。、
今の仕事を辞めて4月から働く場所を選んだのは。
もっと前から考えてはいました。
だけど自分も普通に暮らしていける身体の状態ではありませんから。
そういう意味でも今の職場は配慮してくれて正直、環境としては悪くなかったです。
多分、今の私が働いて生活していくのを第一に考えるなら辞めずに働かせてもらった方が安泰だったでしょうね。
でもそいつが亡くなったのをキッカケに前から興味があった4月からの職場のような仕事に少しでも携わりたい。
そう思ったのです。
自分もそうだから。
人の死に関しては凄く敏感と言いますか、こんな感じに思う私ですが自分のことは正直そこまで思っていません。
死にたいわけではありませんが別にお金がなくて稼がなきゃ生きていけないっていうぐらいならぶっちゃけ死んでもいいって思いますし、誰でもとは言いませんが例えば病気だけど生きたいと願ってる人がいて自分の命を差し出せばその人は助かると言われれば差し出します、赤の他人でも。
まぁ、自分のことは余談ではありますが。
そんな感じなのでリアルの死が続いていることから前々から思っていた執筆している作品でキャラが亡くなることに関してずっとずっと思っていたことをついでに書きたいなっと思ったわけです。
人が亡くなるって悲しいとか泣けるって単純に思ったり、浮かんだりすると思います。
安直な言い方ですが感情移入出来るキャラを描いて死なせれば読者はそういう気持ちになると思います。
ま、自分はこの考え方、大っ嫌いなんですけどね。
出来ればキャラとはいえフィクションとはいえ死なせたくないですよ。
SSの言葉になってしまいますが朝里関係の話はどうしても避けられない。
正直に言ってしまえば若干割り切ってしまってます。
でもじゃあ例えば『託した記憶、紡いだ未来』とか『2人で見たかった景色』とか『円満triangle』とか、あれって本当に必要は話なのか?
キャラが死ぬ意味あったのか?
そんな風にどうしても思ってしまいます。
前のブログコラムにも書いた記憶がありますがキャラに対して非情になりきれないとかそういう部分は私は物書きに向いてないんだろうなって思います。
でもなぜそう思うのかっていうと先ほど書いたキャラが亡くなると読者が~ってやつがあるからです。
そして私はそれが大っ嫌いです。
だから嫌な言い方をしますが読者の方に私がそういう風に感じてほしいから書いたんじゃないかって思われるのが凄く嫌だったんです。
しかし、この先……特に朝里関係の話になるとどうしてもキャラの死の出来事は避けられません。
割り切ってるとはいえ、ハッキリ言えば嫌です。
(まぁ、じゃあ書かなきゃいいじゃんはこの話ではご法度です)
だから私はキャラの死に対して読者が感情移入して泣いてくれたり、悲しんでくれたり、何か思うことを否定したいわけじゃありませんし、そう思ってくれることはキャラを想ってくれていたということなのでそれは嬉しいです。
でもこれは現実でもフィクションでもですが人の死って意味があると思うんです。
死って終わりじゃないんですよ。
何かをやるには意味が必ずあります。
何かって死ぬってことも何かに入ると思いませんか?
自分はいとこが死んだことに関していとこにとって浅はかな言い方をすればそれが『楽になった』という意味になり、私にとっては『生きるために働くのではなく、やりたいことをやるために働く』という決断を与えてくれました。
言っちゃえば4月からの職場で私がどれだけ働けるかも分かりませんから。
ただ初めてといえば初めてなんです。
これをしてみたいって思って働くということは。
自分の身体的にも働くためには条件がどうしてもついてしまうんです。
だからその条件を満たしてくれる場所で生きるために働いていました。
普通の人も働くのはもちろん趣味のため、家族のためとかあると思いますが総じて言ってしまえば生きるためですよね?
私が稼ぐために働くのではなく、これがやりたいから働くっていう意味になったんです。
働くことは生きること、と言いましたが私がその職場で働くことは直接的にお金は関係ないんです(給料がもらえないとか低いとかそういう意味ではないですよ?)
でも、条件を満たして限られた中、働くって自分にとってはやらされているっていう想いがやはりありました。
やらされていると思ってはそこに意志はないんです。
意志がなければ生きているとは言いません。
だから私は4月から生きる仕事を始めることになります。
続けられるかは知りませんけどね(苦笑
若干の脱線でしたがキャラの死もそうなんです。
ストーリーに必要だから、感動してもらいたいから、そんな理由でキャラを死なせたくないんです。
もっともっと意味を持たせてキャラには亡くなってもらいたい。
だって自分が考えて生み出したキャラですから。
その生まれ生きて死ぬまでの結末は私次第なんです。
だからこのキャラが死ぬことによって生まれる意味。
これは考えてほしいとまでおこがましいことは言いません、いつも通り。
考えるのも感じるのも何もかも読者の皆さん次第ですから。
ただそう考え『させる』のは私の仕事であり、腕でもあります。
このキャラはこのために亡くなるんだっていう『意味』、私の中ではもちろんありますがそれを感じ取ってほしい……ほしいって書くとダメですね。
感じてもらえるように書けるよう精進していきたいと思います。
それがこの先の作品でかなり重要になってくると思いますので。
最後に私の作品でそう思ってほしいとは言いません。
ただ現実で、特に身近な方が亡くなった時……悲しむのは当然です、それも一つの意味です。
だけど終わりとは思わないでください。
そこに必ず『意味』があるんです。
その人が亡くなった『意味』もその人が亡くなったことであなたの心に生まれる『意味』も……
それは考えてほしいと思います。
残酷な言い方しか出来ませんが泣くことはいつでも出来ます。
もちろん亡くなったときに悲しくて泣くことは普通です。
私も今、あいつのことを思えば簡単に涙は流せます。
泣くことを否定はしませんし、泣くことにも『意味』はあります。
でも、ただ悲しくて泣いてる『だけ』ではそこに『意味』はありません。
もし、この文章を最後まで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、あなたなりの『意味』というのを考えてみてください。
今回は『死』に対して書きましたが生きる、何かをやる、それだけでそこには『意味』があるんです。
『お金が必要だから働く』とか普通のことです。
もちろん、そんなところから思うことも大事ではあります。
でも余裕があったり、私の今回の記事を読んで感じることがあったら、もっとその先にある『意味』をちょっと考えてみてほしいなって思います。
きっとあなたの生きる、やりたいこと、やらなきゃいけないこと、全てに対する考えやモチベーションなど変わってくるはずです。
特にやらなきゃいけないことに関しては途中で触れましたがだんだんに義務化していきます。
やらされているとまで思ってしまうと本当に『意味』がなくなり、それはマイナスでしかありません。
でも生きるためにはやらなきゃいけないことはどうしても出てきます。
そこで考えて生み出される『意味』って結構大きいことなんです。
『意味』が見えてくるとやらなきゃいけないことが義務とかやらされてるではなく、極端に言えばやりたいことに変わることだってあるんです。
私は人が生きていきたいと思ってくれるように4月からの職場で働きます。
途中、私自身は別に……って書きましたがそれはそれが人のためになるならば、です。
だから人がもし『意味』を持てずに苦しんでいるのなら、少しでもその『意味』を見出してくれたらと思って頑張っていきたいなって思ってます。
まぁ、結局のところ長々と書いてしまったわけで……
もちろん万人に読んでくださった皆さん全員に私の想いが伝わるとは思っていませんし、何を言ってるか分からない、自分はそうは思わないって思う人もいるでしょう。
いるのが普通なんです。
だってみんなそう思うなら私、書きませんもん。
むしろ思わないだろうっと思うから書いたんです。
そこで反発されるのもいいですが
それこそ私が今回書いた『意味』があったわけです。
『意味』って難しい言葉だと思うんですよね。
でも難しい言葉に正解はありません。
辞典で引いたってその言葉の説明しか載ってないですから。
これは数学ではありません。
正解なんてないんです。
でも答えはあります。
正しい、間違ってるとかではなく、答えはあるんです。
それはあなたが『意味』を持った時、それが答えです。
そして多分それはきっと間違いではありません。
正解なんだと思います。
もし、間違ってたとしても『意味』を考えられる人は『次』に繋げられます。
だから考えることって大事なんですよ。
考えるには立ち止まらなければなりません。
歩きながら考えてたら転びます。
何か作ったりしながら考えてたら失敗します。
だから立ち止まったりすることは悪いことじゃないんです。
むしろ必要なことなんです。
前向いて頑張って進んでいこう。
言うのは簡単なんです。
しかもそっちの方が出来ちゃう人、多いんです。
立ち止まってちょっと休んで考えてみたら、って言っても出来ない人の方が多いんです。
だから悩んでる人がいたら自分は頑張ろうと歩き出そうとしている人の背中を押す、のではなく、肩か腕を掴んで『その状態で本当に歩けるのか?』って言います。
そう言える人が、そう思える人が増えてほしいかなってこれはちょっと願望ですけどね。
さてさて題名から大分、話がそれましたが題名に込めた想いっていうのは『キャラを死なすことで感動をさせたいのか』とかそんな風に思われたり、単にキャラの死に『意味』を見出せない創作者であるなら私は題名の通りに言われた方がいいなって意味でした。
文章中にたくさん出した『意味』っていう言葉を題名に使わなかったのは逆に文章中で訴えた方が感じてもらえると思ったからです。
では長々と毎回申し訳ありません。
言っちゃうと確かに私にとってこの記事は『意味』があるというよりは自分の想いを吐き出す自己満足に近いです。
それに付き合ってくださった方には本当に感謝したいと思います。
今度、別に何書くかは決まってませんがブログコラム書くなら……明るい話題でも書きたいですね^^;
ではではご拝読ありがとうございました!

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